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日本には「デニムの名産地」と呼ばれる場所がいくつか存在していますが、最も有名な場所は「岡山県」でしょう。

こちらで作られるデニムは「ジャパンデニム」の枠に収まらず、「岡山デニム」と呼ばれています。

岡山県は江戸時代から綿花栽培が盛んであったといいます。

古くは戦国時代の1583年、戦国武将にして岡山城主であった「宇喜多 秀家」による農地確保のための干拓(浅い海を陸地にする)、いわゆる「宇喜多堤」を用いた「児島湾干拓」により塩分が残った土地で江戸時代に入った頃から比較的塩分に強い綿花を栽培し始めたことから、岡山県の繊維産業としての歴史が始まっています。

そして庶民の間でも和装より洋服(洋装)が一般的に主流となった大正時代以降は学生服や作業服の製造拠点として栄えました。

戦国時代に倉敷地域で行われた干拓

しかし、戦後になると化学合成繊維の台頭や学生服の需要低下により岡山県の繊維産業は窮地に立たされます。

その頃国内では、アメリカのGHQが残していった「ジーンズ」が人気を博しており、岡山県は名産である綿花と繊維産業として培った縫製技術によりジーンズ生産に乗り出します。

しかしこの時代にはまだ、デニム生地を織れる機械など国内には存在していなかったため、1965年にマルオ被服(後の「ビッグジョン」)がアメリカ「キャントンミルズ社」のデニム生地を購入しました。
そしてカット・縫製を行ない、国内で初めて生産したジーンズが「キャントン」です。

その後の1973年、倉敷紡績(後の「クラボウ」)が初の国産デニム生地を開発し、純国産ジーンズが産声をあげました。

国内生産第一号となった「CANTON」のジーンズ

戦国時代から現在までに様々な紆余曲折を経て岡山県は「デニムの街」として知られることとなり、現在では国内外のデニムファンからアパレルメーカーまで数多くの人々が日々視察に訪れています。

岡山デニムを題材にした海外ドキュメンタリー

2 Comments

  • ふくちゃん より:

    何時も利用させて頂いてます。先日倉敷で、デニムのリメイクバックを購入したのが、使い勝手も良くお値段も安いので愛用してます。こちらのお店でもリメイクバックの販売して頂けたら嬉しいです。
    又姉妹店等で、通信販売してるお店が有ればご紹介して頂けたらお願いします。

    • Kosugi Daisuke より:

      ふくちゃん 様

      コメントをいただき、ありがとうございます!
      返信が遅くなり、申し訳ありません。

      いつもご利用いただきまして、誠にありがとうございます!
      実は現在、オリジナルバッグのサンプルをいくつか作成し製品化を検討しております!

      当ブランドの製品は本サイトのほかにAmazonやヤフーオークション、minneやCreemaなどのショッピングサイトで販売を行なっております。
      是非ご覧いただけましたら幸いでございます。

      今後ともUK Tridentのご愛顧を、何卒よろしくお願いいたします。

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